Review 『恐怖分子』

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無題

あまりに圧倒されて、呆けてしまった。
ある回では終映後に拍手が巻き起こったというから、いい映画だったら私も拍手で応えようと思っていたのだけれど、できなかった。代わりに頭を抱えた。ああ、出会ってしまった、と。

 

「恐怖分子」は、台湾で1986年に製作された。
生まれたばかりの「台湾ニューシネマ」を引っ張るエドワード・ヤン監督が、予算もスタッフも十分に与えられない劣悪な制作環境の中で削り出した。無論、そんな事情は到底計り知れない。

彼は生涯、台湾のメジャーから不遇を囲い、同時に嫌った。世界的に評価された「ヤンヤン 夏の思い出」は、ヤンの意向で台湾未公開となったとも言われている。
それもそのはずである。「台湾ニューシネマ」という運動自体が、商業映画で溢れて娯楽の域を出られなくなった台湾映画界への強烈な否定に始まった運動だからだ。けれども、これは特別なことではない。運動前夜、ヤンの家にはホウ・シャオシェンを始めとする後の台湾映画界の巨匠たちが集まっていたというが、彼らはあくまで、現状に不満を持ち、打ち壊そうとするただの若者だった。(ヤンはすでに40代だったが。)

とはいえ、ただの若者のつくった映画が、30年近い時を経て、国も背景も違うただの若者の心を打ち抜くことは、偉業ではないか。前置きが長くなったが、私にとって生涯で最も大事な映画となった「恐怖分子」を以って、久方ぶりのレビューとしたいと思う。

 

あらすじ
話の筋は、私たちの日々にもきっとある「本当だったらもう壊れていてもおかしくないこと」が、1本のいたずら電話を機に自滅的にあぶり出されて瓦解する、というものだ。たとえば、仕事がなくなるとどう生きていくのか想像もできないような平凡なサラリーマンや、合わないと知りながらもすれ違って(見方によっては懸命に)同居するありきたりな夫婦が出てくる。彼らは何の意図もない1本の電話を機に、意識の外に置いておいた不都合と付き合わざるをえなくなり、なすすべもなく「これまでの生活」を失う。

不安の連鎖
不運というべきか、悲劇というべきか。出来事のつじつまや登場人物の行動の是非は置いておいて、この止まらぬ流れは異常に恐ろしい。好きな娘からのメールが帰ってこないとやきもきした思春期の私が思わず重ねてメールを送ってしまったように、不安が人を動かしてしまい、及ぼされたズレが望まぬ未来へつながっていく。(思春期男子のもやもやなんてなんとかわいいものか!)

誰も止められない、止めても止まらない。
ここに不安や鬱屈の原子が結合した果ての「恐怖」という名の分子が働いていると言わずして、なんと言えばよいだろう。
しかし、偉そうに言ったそばから、小説家の女が自らの行動を必死に言葉にしようとしたことがカメラ目線の虚しい抵抗でしかなかったのと同じで、やはり何も言えていないことに気づく。もはや、手に負えない。
80年代なのに、という驚きや、エドワード・ヤンすごい、という賞賛ではなく、絶句という現象しかなかった。観終わった私もまた、感染してしまったのかもしれない。

逃避不可能
女の熱弁は、逃避ではなかったか。(この意味で小説家という役柄、書きあぐねて苦悩している設定は絶妙。)けれども、逃れたはずの対岸にも火の手は及ぶ。恐れている結末、本作で言えば死を、自ら選ぶか自らもたらさない限り、終わることはない。小説の結末を他者の凶行に委ねた時点で、女の逃避の失敗は決まっていたとも言える。

フィルム・ノワール
本作をノワールと表現する向きもある。ノワールのジャンルによく位置づけられる一部のギャングもの、刑事もの、探偵ものは、「もはや逃れられない」、「やるかやられるかの状況から抜け出すことができない」中で生きる人々の虚無や退廃という点で本作と共通している。これと本作冒頭の街の素っ気なさは明らかにマッチしているし、印象的な明暗の描写からも、なるほど恐怖分子はノワールだ、と納得せざるを得ない。

音の強調
多くの人が言っているように、光と色彩、風など、本作にははっとする美しさがある。そして音も印象的だ。
銃声はもちろん、足音や外を走る車のエンジン音、どこかで洗濯をする音まで、休みの日に朝寝坊をしている時に聞こえてくる生活感と夢見心地が入り混じったような音が映画と私との垣根をなくしていく。(音と言えば、アフレコと役者の口がずれていることについても書きたい!)

映画館で観るか否か
これだけ質、量ともに豊かな表現は、映画館で観る以外に味わえない。DVDでも気付いて言葉にすることはできるし、映画館で観ても一切言葉に出来ないこともある。しかし確実に、映画館で見れば、言葉にできるかどうかは別にして、全てを体験できると約束されている。ここに検証の余地はない。
その日のコンディションや映画への姿勢によって、体験を捉えられる度合いは変わってくるが、放たれた以上、こちらの都合に関係なく逃げ場なく浴びせられるのが映画館だ。この半強制的なノンストップの受容は、私たちの人生を確実に豊かにする。
だから、いつもと同じく映画館で観てもらいたい。特にこの「恐怖分子」を。

 

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