Review 『フランシス・ハ』

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映画で人が走っているシーンが大好きで、どうしてこんなに感動的なんだろう、切ないんだろうとずっと思っていた。

 

『フランシス・ハ』の主人公、27歳のフランシスは、モダンダンサーとしてステージに立つ夢を見ているが、なかなか芽が出ずにいる。彼氏と別れ、親友との同居も解消し、ニューヨークの街の中で転々と暮らす。

そんな彼女が、ニューヨークの街中を飛んだり跳ねたりしながら疾走する。唐突に始まる、そのわずか50秒ほどのシーンに、気ままに暮らしつつも、翻弄され、それでもあがき、前に進もうとするフランシスの魅力が爆発している。まだ大人になりきれていない、青年と大人の狭間にいて、どこか不安定な境遇が、横断歩道をくるくると回りながら渡るカットに込められる。

(このシーンだけで、フランシス、いやグレタ・ガーウィグのファンになる!!)

 

このシーンにかかるデヴィッド・ボウイの“モダン・ラヴ”。僕は“汚れた血”(1986/レオス・カラックス)も未鑑賞だけど、単純に画と合間って、ドライヴ感と切なさとで自分の気持ちが爆発しそうになってたまらない!

 

フランシスが走るシーンを観てふと思った。人生、走っている時が最も輝かしいのではないか。人が走る時、邪念は削ぎ落とされ、シンプルな、人間の持つ尊厳のような何かそれだけが映し出される。だからこそ僕は心を打たれるし、「走る」行為は刹那的だからこそ、切なくもなるのかもしれない。フランシスの自由で気ままに走る姿は「走るシーンが好きな理由」がひとつ言語化できた、そのきっかけを与えてくれた。

(グレタ・ガーウィグ出演。もはやフランシス出演、と言ってしまいたくなる。このビデオの監督スパイク・ジョーンズが、『フランシス・ハ』に「人生最高の1本!」がコメントしていて、点と点がつながった。)

 

もう1つ、『フランシス・ハ』を観て印象に残ったのが、映画での「旅行」の扱い方。先行きがどんどん怪しくなってきたフランシスが、友人の友人がパリに部屋を持っていると聞き、完全な思いつきでパリに行くシーン。

映画で旅行に行けば、良かれ悪しかれ、必ず何かが起こるだろうと思っていた。現実においても同じかもしれない。「旅」に何かを求める。特に何の目的も持たずに行っても、何かが起きて、きっと何か良くなるかもしれない。

しかしフランシスは、出会いがあるわけでも、何か人生における答えを見つけるわけでもなく、ただ行って、ただ帰る。唯一起こったこと、アメリカとパリ両方で起こす行き違いがギャグでもあり、止めを刺す一突きでもある。

こういう旅行もあるんだと、思い出した。行きさえすればなにかあると思って行ったものの、良いこともなければ事件や事故めいたことすら起きない、さらっとした旅行。「旅」への妄想や幻想を説教臭くなることなく、黒い笑いでぶち壊しにしてくれる、誰にかはわからないけど「ざまあみろ!」と言いたくなる、僕にとって素晴らしい、ノア・バームバック監督らしい意地の悪いパンチを食らったシーンだった。

 

そんな『フランシス・ハ』、福岡では14日(金)までのレイトショー上映。きっとそれぞれに、特に現在を生きる若い人たちは、この映画から受け取ってしまうなにかがあると思います。ノア・バームバックと合わない!という方も、今作は脚本が主演のグレタ・ガーウィグということもあって、2人の持ち味が良い感じに融合し、また別のエッセンスが活きていると思います。

まあとにかくフランシスが走るシーンだけでもスクリーンで一見の価値アリですから、いいから映画館にぜひ観に行って下さい!

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